吾妻橋

■吾妻橋

創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所でした。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したものです。 橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれていました。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなみますが、しかし、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名されました。後に関東大震災によって木製だった橋板が焼け落ちてしまい、一時的な補修の後1931年(昭和6年)に現在の橋に架け替えられました

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